チェ・ユラ
韓国出身 │ 33歳 │
女性 │
在日9年目
韓国で生まれ育ち、現在は、株式会社マーキュリーで活躍しているチェ・ユラさん。日本での就職、昇進など日々の努力を重ねることで、チャンスをつかみ、キャリア形成してきた秘訣についてお聞きしました。
私は、韓国の京畿道(キョンギド)という地域で生まれ育ちました。京畿道は首都ソウルまで約1時間の距離にあり、日本だと埼玉県のような場所です。大学ではデザインを専攻しました。
日本のアニメ『ワンピース』などをよく見ていたこともあり、日本に対して親しみがありました。大学入学早々、友人と日本へ旅行に行ったことがきっかけで、日本語の勉強を始めました。当時の私は、日本語の挨拶とひらがなが少し読める程度でしたので、お店のメニューも読めず、自分が話したいことも話せず、悔しい思いをしたため、帰国後に大学の日本語学科を副専攻として日本語学習をスタートしました。
その後も何度か日本を訪れ、特に印象的だったのが、古民家をリノベーションしたゲストハウスに宿泊した経験です。夜はバーとして営業し、お客様と日本語や英語で会話を楽しむなど素敵な時間をすごしているうちに「日本で暮らすのも良いな」と考えるようになりました。
大学3年生の時に、広島市立大学への交換留学のチャンスを得ました。大学でデザインを学びながら、居酒屋でアルバイトを経験しました。しかし、メニューの漢字が読めなかったので、毎日が漢字との格闘でした。
韓国では漢字を使う文化はありますが、高校や大学の授業で少し学ぶ程度で、実際の生活はハングルだけで十分に成り立ちます。私は比較的、漢字の勉強が好きな方でしたが、それでも日常生活で使いこなすのは難しく、メニューの写真を撮って家に帰り、一つ一つ意味を調べながらアルバイトに臨んでいました。
また、居酒屋ではインカムで従業員同士のコミュニケーションを取ります。音声だけでの日本語の会話はただでさえ聞き取りづらいものですが、加えて店長が大阪出身で、早口でコテコテの関西弁だったこともあり、音声指示を受け取るのにとても苦労しました。その結果、居酒屋でのアルバイトで最も実践的な日本語を学び、会話力を伸ばすことができたと思っています。
交換留学での生活は本当に楽しく、「日本で生活すること」を本気で考えるようになりました。そして、大学卒業後にワーキングホリデー制度を利用し、再び来日しました。
ワーキングホリデー中は、ドラッグストアでアルバイトをしながら生活をしました。ドラッグストアは、日本人のお客様が中心で、薬や日用品に関する実用的な日本語を勉強するには最適な環境でした。特に「バンドエイド」や「蚊取り線香」など、聞きなれない言葉で、何に使うかも想像ができない単語に苦労しました。
半年ほど経った頃に、日本での就職活動を始めました。韓国での就職も選択肢にありましたが、当時はオンライン面接が普及していない時期で、韓国と日本を行き来しながらの就職活動が難しいと考え、日本での就職活動を決意しました。
就職活動は、新卒向けの就職サイトに登録をしました。大学の専攻であるデザインの道も考えましたが、才能タイプと努力家タイプがあり、努力だけで才能を超えることの難しさを痛感していましたので、語学力を活かせるキャリアを選択しました。接客販売やサービス業の求人を中心に応募し、5社の面接を受けました。面接では特に準備をせず、面接官の質問に対して、自分の気持ちを正直に伝えることを意識しました。
その中で内定をいただいたのが、セールスプロモーションを強みに持つ株式会社マーキュリーでした。面接では私の語学力を評価していただき、さらに「どのようなキャリアが積めるのか」を具体的に説明してくれたため、迷いなく入社を決意しました。
入社後、最初の2年間は店舗で携帯販売を担当しました。店舗のルール、製品やサービス内容、新しい知識を覚えるということに苦労しましたが、特に他社のスタッフとの関係構築に苦労しました。意見が食い違うことも多く、悔しさで涙を流すこともありましたし「仕事を辞めたい!」と思ったこともありましたが、「負けず嫌い」な性格のため、翌日には奮起するなど、立ち直りも早かったです。
接客では、わかりやすく迅速な対応を心がけた結果、お客様からドーナツやコーヒーの差し入れをしていただくこともありました。また、自分の担当だけではなく、積極的に周囲のサポートにも努めたことで、店舗責任者から「チェさんのような人をもっと採用したい」と言われるなど、高く評価されたことが嬉しかったです。
その後、新設部署に異動しました。その部署は、現場で働く社員をサポートし、悩みやトラブルを吸い上げ、より良い環境で仕事ができるように改善策を考え、実行する部署です。この仕事で気付いたのは、「自分のおせっかいな性格が役に立つ」ということでした。販売の経験が活かせることはもちろん、一人ひとりの悩みや課題に向き合い、将来につながる解決策を一緒に考え、乗り越えることにやりがいを感じました。
その後、課長代理に昇格し「仕組みをつくる」仕事に変わりました。新設部署でルールなどの整備が不十分でしたので、ルールを明確化したり、KPIの設定をしたり仕事内容を可視化しました。
2020年には部長へ昇格し、担当エリアが大阪から西日本全体へ拡大しました。業務範囲が広がる中で、「仕事は一人ではできない」ことに初めて気付きました。さらに翌年には育児休暇を取得し、復職後は仕事と育児のバランスを取るのが想像以上に大変で、当初は家に帰って子どもを寝かしつけてから仕事をすることもありましたが、体力的に限界を感じました。「自分がすべてやらなければ!」とがむしゃらに働いていましたが、仕事の内容とタスクをチーム全体に細かく伝え、部下とのコミュニケーションを意識的に増やすように心がけました。今では、業務時間内にすべてを終わらせるために、無駄を省くことを徹底し、周囲に頼ることもできるようになりました。
現在は172名の部下を管理していますが、大切にしているのは「悪口を言わない」ことです。不満は誰しも持つものですが、私は中間管理職として、上層部と現場の橋渡し役であることを意識し、組織の意思疎通をスムーズにすることを心がけています。
また、マネジメントの難しさも感じています。仕事の内容だけを見れば、トラブルは起こらないことでも、人間の感情があるからこそうまく進まない、という事象が多々あります。部下同士の相性や働き方の違いなど見極め、チーム編成をするなど日々模索しています。
私は「最強」という言葉が好きです。日本語が話せず悔しい思いをした日々、仕事で涙を流した経験、育児と仕事の両立、マネジメントに試行錯誤する日々、そのすべてを乗り越えてきたからこそ、今の私がいます。
したがって、店舗で働くスタッフや部下には「”この壁は乗り越えられない”と思うような困難が目の前に現れたら3回は突破してください」と伝えています。そこで諦めたら絶望にしかなりませんし、自分の夢や目標から逃げるのと一緒です。
壁を超えることで、自分が今まで考えたこともないような可能性と未来が切り拓けるかもしれませんし、壁を乗り越えるごとに「最強」に近づける、と実感できるからです。私はこれからも、チームとともに壁を越えて、「最強」を目指していきます。
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