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インタビュー
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2019.10.02 update

ヤレド フェルナンデスさんの写真

「1日1日の積み重ねが10年後の自分をつくる」医療専門職からビジネスにキャリアチェンジ!

インドネシアの国旗

ヤレド フェルナンデス さん

インドネシア出身 │ 35歳* │ 男性 │ 在日12年目

前職 看護師

内定企業 医療コンサルティング企業 海外営業

好きな日本語 4649(よろしく) 5963(ごくろうさん)

*内定時の年齢です。
医療専門職である看護師からビジネスにキャリアチェンジをしたインドネシア出身のヤレドさんに、日本に来日してから、今日に至るまでの経緯をお聞きしました。


【経歴】
2004年 (インドネシア)看護学校 卒業
2004年 (インドネシア)国立病院で看護師として勤務 
2008年  EPAプログラムで来日
2009年 (日本)新潟県の病院で看護師として勤務
2011年 (日本)東京都の病院で看護師として勤務
2016年 (日本)埼玉県の病院で看護師として勤務
2019年 (日本)医療コンサルティング会社 海外営業 

「1日1日の積み重ねが10年後の自分をつくる」医療専門職からビジネスにキャリアチェンジ!

来日したきっかけと、来日前の仕事について教えてください。

実は、私は他の人よりも1年早い5歳のときに小学校に入学をしました。

母が当時、小学校の校長先生に入学をお願いしたところ「1年早いけれども、この文字が読めたら入学して良いよ」とテストをされ、私はその文字が読めたそうで、5歳から小学校に入学しました。インドネシアらしいゆるい話ですよね(笑)

出身のジャカルタの自宅の近くに空港がありましたので、物心ついた時から、「インドネシア空軍のパイロットになりたい」と思っていました。人よりも1年早い小学校入学でしたが、無事に小学校、中学校、高校を卒業して、空軍のパイロットになるべく空軍への入隊を申し込もうとしたのですが、「17歳は入隊できない、申し込みは18歳から」と言われ、諦めざるをえなくなりました。

母は私に、「医療関係などのすぐに働ける職場で、どこに行っても困らない仕事に就く事」を希望していたので、看護師になる道に進むことにしました。今、考えると人よりも1年はやい小学校入学は母の作戦だったのかもしれません(笑)

看護師になる学校での勉強は、はじめは基礎知識の学習で面白くなかったのですが、各臓器の専門的な勉強になると興味が湧き、面白くなってきました。特に「心臓」は人間にとって重要な臓器にもかかわらず、わりと簡単な仕組みでできている事に感動しました。それ以来、心臓に魅了され循環器が専門になりました。

看護師として仕事をスタートしてからは、主にVPI患者さんの担当看護師として仕事をしました。仕事に慣れた4年目ぐらいに、「一旦、キャリアを休憩してでも、何かにチャレンジしていたい」と思い始めました。その頃、ちょうど日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)がスタートし、日本の国家資格(看護師)取得を目指しながら仕事ができるプログラムがありましたので、挑戦することにしました。それまで、日本との接点が何もなかったので、日本のことを知ろうとしたことも考えたこともありませんでしたが、これも縁ですね。

EPAプログラムに応募・試験を受けて、第1期生となり、日本に来日しました。はじめて来日した場所は、名古屋でした。6か月間、9:00~18:00まで日本語の勉強をする生活をし、6か月の研修が終わってから新潟県の病院に配属となりました。配属が決まり新潟県に行ったのが2月でしたので、雪にはじめて触ることができ感動しました。雪合戦をしたり、雪ダルマをつくって遊びました。ただ、翌年からは雪が嫌になりました(笑)移動手段が自転車しかありませんでしたので、雪だと自転車に乗れませんし「早く春にならないかなー」と思っていました。



日本の職場のこと、日本での転職活動のことを教えてください。

はじめ、日本のインドネシアの看護に対する考えの違いに戸惑いました。例えば、高齢者の患者さんに食事を食べさせてあげる際、インドネシアでは介助をしながらしっかり食べさせてあげるのに対し、日本では自力で食べる力が残っているのであれば、極力介助をせずに患者さん自身の力で食事をしてもらいます。はじめは「栄養不足になるのになぜ?」と思っていたのですが、患者さんが退院した後のことまで考えて、自分の力でできるようにする、考えを知りました。いまでは、日本式の方が良いと思っています。

あと、ドクターのカルテは何が書いてあるかよくわからず苦労しましたが、歓迎会をひらいてくれたり、飲み会に誘ったりしてくれたので、楽しかったです。日本人の患者さんから外国人だからといって、あからさまに嫌がられたりすることはありませんでした。おそらく、患者さんによっては、担当にならないように配慮されていたのもあると思います。


その後、結婚を機に東京で転職をすることにしました。たまたま「看護ジョブフェア」のようなイベントがあったので行ったところ、すぐに病院見学に行くことが決まり、病院見学に行ったらその場で採用が決まりました。インターナショナルな病院で、外国人スタッフが多い職場でした。子供が生まれてからは、教育面など考慮し、埼玉県に引っ越しをしましたので、埼玉の病院に転職をしました。

その後、NINJAの転職エージェントから「インドネシア関連かつ医療関係の仕事に興味はありませんか?」とスカウトがあり、転職エージェントに会うことにしました。これまで、転職活動らしい活動をしたことがなかったので、不安もありましたが、インドネシア関連でこれまでの経験が活かせる医療関係の仕事ということで興味がありました。

そこから、いくつか求人情報をいただき、結果的に現在の医療コンサルティング企業に縁があり入社しました。現在は、海外からの医療ツーリズムを中心とした海外営業を担当しています。

ヤレド フェルナンデスさんのインタビュー写真1

面接対策は何かしましたか?また、医療専門職からビジネスにキャリアチェンジをするうえで不安はありませんでしたか?

面接対策は、想定される質問をまとめ、日本人の妻と日本語でQAの練習をしました。妻からは、日本の面接では「正直に自分の考えや要望を伝えた方が良い」とアドバイスをされましたので、何事もつつみかくさず伝えるようにしました。

転職活動をする際に会社を選ぶ基準が、①自分も目的を果たせるか(夢・目標が実現できるか)②雇用条件 ③会社としてのブランド力(会社としてしっかり事業が成り立っているか)ということでしたので、そこも面接でクリアになるように質問をしました。

看護師からビジネスにキャリアチェンジすることに不安はありませんでした。インドネシアにいるときから、自分が担当した患者さんのアフターフォローとして在宅看護サービスが受けられるようにサービスを開始したり、近所のハチミツ農園と交渉してハチミツを売ったり、親戚のニンニク農園オーナーからニンニクを仕入れて売ったりしていたので、ビジネスの感覚はありました。

また、転職エージェントから、看護師からビジネスにキャリアチェンジした日本人を紹介してもらい、話を聞く機会をつくってもらったり、日本のビジネスマナーを入社前に学べるようにビジネスマナーの資料をもらうことができましたので、不安なくスタートをすることができました。

将来の目標や夢を教えてください。

まずは、入社したばかりですので1日でもはやく実績を出す事ですね。良いことも悪い事も、1日1日の積み重ねが10年後の自分をつくります。何事も一生懸命、意識を高くもって取り組んでいきたいと思います。

将来は、インドネシアの政治家になりたいです。インドネシアの政治家になって、インドネシアの医療制度を変えていきたいと考えています。

日本の保険制度の良いところをとりいれ、どんな人でも安心して医療が受けられる、健康の不安を解消できる制度作り、国づくりをしたいです。

ヤレド フェルナンデスさんのインタビュー写真2

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