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インタビュー
就職できた人から学ぶべし!!

2020.04.06 update

アントニー トランさんの写真

人間関係づくりの基本は、自分がどう相手の役に立てるか。相手に勝つことよりも、お互いに助け合って一緒に成長していける道を選ぶ。

フランスの国旗

アントニー トラン さん

フランス出身 │ 38歳 │ 男性 │ 在日12年目

前職 ECサイト運営 カントリーマネージャー

内定企業 株式会社LIFE.14 代表取締役社長

好きな日本語 正しいより優しい

日本に留学してからフォトグラファーとして活動を開始、写真家として起業をし、現在は組織のトップとして活躍している株式会社LIFE.14 代表取締役社長のアントニーさんに、日本社会で成果を出し、評価をされる秘訣をお聞きしました。アントニーさんが日々心掛けている事とは?


【経歴】
1999年 (フランス)アンリ4世校 Lycée Henri-IV 卒業
2000年 (フランス)パリ第6大学 入学 
     ピエール&マリキュリ 数学情報応用科
2002年 (日本)ワーキングホリデー
2005年 (フランス)パリ第6大学 卒業
    (フランス)保険会社 救命救急コーディネータ
2007年 (日本)新宿日本語学校入学
2008年 (日本)亜細亜大学 入学
     国際関係・国際協力学科 入学
2012年 (日本) 亜細亜大学 卒業
2012年 (日本)外資系 ECサイト運営会社
2013年 (日本)フリーランスとして活動
2015年 (日本)株式会社LIFE.14設立 代表取締役社長 

人間関係づくりの基本は、自分がどう相手の役に立てるか。相手に勝つことよりも、お互いに助け合って一緒に成長していける道を選ぶ。

日本に来日するまでのこと、留学時代のことを教えてください。

私はベトナム生まれのフランス人です。父がフランスとベトナムのハーフだったこともあり5歳のとき、難民としてフランスに渡りました。1年間はフランスのリヨンで難民として暮らしましたが、6歳でフランス国籍とフランスの名前を取得しパリで生活するようになりました。

父が数学の教師だったので、学生時代は、平日はもちろん土曜日は朝から晩までずっと数学の勉強をさせられていました。私が行った中学校はあまり評判が良いとは言えない中学校だったのですが、父の数学スパルタ教育のおかげで数学だけは成績がよく、フランスのマクロン大統領の出身校、アンリ4世(Lycée Henri-IV)高校に進学することができました。高校卒業後は、パリの第6大学へ進学し数学情報応用科を専攻しました。

日本との接点は、小学校の時にはじめた空手です。空手をはじめた理由は、走るのも球技も苦手だったからです(笑)。消去法でスタートした空手でしたが、18歳のとき、空手のインターハイで日本に行けることになり、はじめて日本に行きました。その時の日本の印象は、「安心安全」「親切」「リスペクト」「感謝」で、テレビや空手を通じて知っていた日本のイメージ通りでした。道をきいても親切に教えてもらえますし、その時に友人もできました。空手のインターハイの結果はボロボロだったことは内緒です。

そして、大学在学中にもワーキングホリデーで日本に来日しました。ワーキングホリデー中のアルバイトは、パン屋さんのアルバイトに応募をしたのですが、見た目が外国人っぽくないので不採用になりました(笑)。フランス人ということで見た目の雰囲気を期待されていた様でしたが、先方の期待に応えることができませんでした。 ちょうど、茨城県でフランス語教師をしている友人がおり、そのアシスタントとしてアルバイトができることになり、朝昼晩、毎日納豆を食べながら過ごしました。フランスはチーズなど発酵食品をよく食べるからか、納豆は抵抗なく食べることができましたよ。

フランスの大学を卒業してからは、日本の大手保険会社のパートナー企業でメディカルコーディネーターの仕事をしました。海外からの旅行客が病気や事故にあったときに、フランス語と英語、ときどきスペイン語で事故対応をし、現地の救命救急の手配などを担当しました。フランス語・英語・スペイン語ができるので欧米圏と南米の対応はできたのですが、アジア圏の言語対応が弱かったので、日本語を勉強すれば社内でもっと自分のバリューもでるのではないかと思い、「日本に行って日本語をマスターしてくる!」と宣言、会社に戻る可能性を残して退職をし、日本に留学をすることにしました。

日本語学校では1年間で日本語能力試験N1を取得することを目標にしました。午前中は日本語学校で授業を受け、午後はスターバックスで日本語能力試験の勉強をしました。大変だったのは、フランス語で日本語能力試験対策を教える本がなかったので、英語を通じて日本語を理解し、勉強をしなければならなかったことです。頭の中では、まずフランス語から英語に変換し、英語から日本語に変換する、2段階で翻訳して日本語を理解するので、苦労しました。漢字は、成り立ちや構成を考えながら勉強をしました。例えば「好き」という漢字の「好」は、「女」と「子」の組み合わせなので、「女性は子供が好き」というような覚え方をしました。そうやって1年間、日本語勉強をし、冬の日本語能力試験で無事にN1を取得することができました。

その後、大学に進学をしようと思いました。早稲田大学などの有名な大学に行ってみたかったのですが、すでに入学の試験が終わっており入学の時期が合いませんでした。唯一入学できたのが、亜細亜大学だったので、亜細亜大学の国際関係・国際協力学科に入学を決めました。

亜細亜大学では、留学生枠ではなく、通常の日本人と同じ枠で入学をしたので、2年生ぐらいまでは黒板にかかれた内容がわからず授業についていくのが大変でした。1年生と2年生の時は英語とスポーツの授業で単位を稼ぎつつ、4年間なんとか授業についていきました。とても大変でしたが、これまで勉強をしたことがなかった国際関係や国際協力のような分野を学ぶのは自分の世界を広がるようで楽しかったです。

日本の大学卒業後、本来であればフランスに帰国しメディカルコーディネーターをやっていた会社に戻る予定だったのですが、会社には「日本語が出来るようになり、日本での生活が良くなったので日本に残る事にしました」と告げ、フランスに帰国せずにそのまま外資系のスタートアップの会社に就職をしました。

カメラで起業をされていますが、カメラを仕事にしようと思ったきかっけや経緯を教えて下さい。

カメラをはじめたのは、大学時代です。日本の風景写真を両親に送ってあげようと思い、当時もっていた携帯のカメラで撮影をしたのですが、どうもうまく撮影できません。デジタルカメラでも挑戦しましたが、それでもうまく撮れないので「これはカメラが悪いのだ」と思い、一眼レフを購入しました。結局、一眼レフでもうまく撮れず「自分の腕が悪いのだ」と気づき、撮影の練習をするようになりました。

やりはじめると、カメラの世界は数学の世界だと思いました。レンズの焦点距離やシャッター速度など数学の世界で生きてきた私にとっては理解しやすく、とても身近なものに感じました。ちなみに、少し前に裁縫にはまったことがあります。カメラを入れるケースを皮でつくったり、布でつくったり。一枚の紙から型紙をつくり、平面から立体にしていく作業、これも数字の世界なのでどんなところでも数学が生きるなと思いました。

カメラは「好き」とか「趣味」でというよりは、効率よく稼ぐ手段としてはじめたと言った方が適切かもしれません。前述のように、亜細亜大学時代は、日本人学生枠で在籍していましたので留学生扱いはしてもらえず授業についていくことが大変でした。したがって、平日は大学の勉強をし、土日で効率よく学費を稼ぐ必要があります。その手段としてちょうど良かったのが比較的時給が高い写真撮影のアルバイトでした。

はじめは、アルバイト情報誌の「from A」で、結婚式場の写真撮影の仕事を探し電話をしました。フランス人だと伝えると「外国人だとお客様が緊張してしまうから・・・」と断られたのですが「フランス人だけど、見た目は外国人っぽくないから大丈夫です!」と伝え、なんとか面接にこぎつけました。パン屋さんでのアルバイトは、見た目で不採用でしたが、今度は見た目が功を奏しました。面接では、これまで撮影した写真を見せながらアピールをしました。「まずはアシスタントからやってみる?」と言ってもらい、アシスタントとして仕事を得ました。ただ、アシスタントの仕事は、フォトグラファーよりは時給が低いので、当初の「短時間で効率良く稼ぐ」目的とは違います。しばらくアシスタントを経験したあと「アシスタントのままだったら辞めます」と伝えたところ、「だったら、撮影やってみる?」とチャンスをもらうことができ、結婚式場のフォトグラファーとしてデビューしました。今だからわかるのですが、結婚式のフォトグラファーというのは修行を重ねてからやるものです。結婚式は一生に一度のイベントで撮り直しができず、その瞬間をカメラに収めなくてはなりませんから。デビューしてからは、国際結婚カップルの際には指名していただけるようになり、日本語も英語もできるフォトグラファーとして実績をつくっていきました。

また、友人のライターが、飛行機の機内雑誌に日本の文化を紹介する記事を担当していたのですが、友人は写真が苦手だったので、私が撮影した写真を提案したところ、使ってもらえることになり、機内雑誌への掲載実績をつくることができました。機内雑誌の企画では、和歌山県の山伏を撮影しに行ったり秋葉原のゲームオークションの会社に訪問をしたり、なかなかできない体験をすることができました。

また、アフガニスタン大使館と縁があり専属カメラマンにしてもらいました。これをきっかけに、スウェーデン大使館、アメリカ大使館、イギリス大使館なども紹介をしていただき、どんどん仕事が増えていきました。こうした実績を重ね、気が付けば「英語と日本語ができる信頼できるフォトグラファー」してのブランディングに成功していました。

大学時代にこのような状況でしたので「カメラで十分に生活をして行ける」という自信はついていました。ただ、日本では留学生がいきなり、在留資格を「留学」からフリーランスのフォトグラファーとしての「技術・人文知識・国際業務」の変更をするのはなかなか難しい状況です。このまま、日本に残るにはどこかの企業に就職をする必要がありました。就職することを模索していたとき、外資系のECサイト運営企業と縁があり、日本支社を立ち上げるカントリーマネージャーとして入社が決定、日本支社をまかされることになりました。ECサイトの運営の実務はもちろんですが、スタッフの採用活動などのマネージャー業も担当しました。入社時は私とバイヤーの2名でしたが1年後には20名の組織になりました。

その後、フリーランスのフォトグラファーとして独立をしました。大学時代から培った人脈はどんどん広がり、大使館などの国際的な機関はもちろん、日本の大手企業などからも撮影の仕事を頂けるようになりました。そしてフリーランスになってから4年目、世界銀行との取引をきっかけに法人化をしました。「世界銀行は法人ではないと取引ができない」という理由からでした。その時、一緒に活動をしていた仕事のパートナーと一緒に会社を設立、株式会社LIFE.14の代表取締役社長に就任しました。

アントニー トランさんのインタビュー写真1

チームづくりで心掛けていること、リーダーとして心掛けていることを教えてください

人間関係においては、常に「自分がどう相手の役に立てるか」をベースに関係構築をしています。相手には積極的に「いま、何に困っている?」「私はこれだったら役に立てるよ!」という提案をするなど、お互いに助け合える関係、補完し合える関係づくりを心がけています。私自身、フランスから1人で来日しましたので、これまで沢山の人に助けられました。人に助けられることは恥ずかしい事ではありません。だから、1人1人の縁を大事にし、これまで沢山の人たちに助けられてきた自分にも、何か相手のためにできることがあると信じています。

チーム作りに関しては、ECサイト企業のカントリーマネージャー時代も今もそうですが、会社自体が仕事も時間もフレキシブルなので、自分で考えて動ける「自走できる組織づくり」をしたいと思っています。スタッフの採用・面接についても、自分で考えて動けるかどうか、技術力よりもコミュニケーション能力やパッションがあるかどうかを重視しています。技術力はいくらでも教えられますが「良い人」「良い性格」というのは、教えられて身につけられるものではありません。

株式会社LIFE.14では、最近、新しいスタッフを2名採用しましたが2人とも新卒の女性です。クライアントのニーズを聞き、クライアントの実現したいことをサポートし、コーディネートをする役割ですので、やはり技術力よりもコミュニケーション力を重視しました。採用した1人は、学生時代にアフリカのタンザニアに行っていたのですが「カメラを盗難されたが、保険でもっと良いカメラを購入してラッキーだった」というエピソードを聞き、「ポジティブでガッツがある」と感じました。面接の中で、自分で考えて行動できる人かどうか、人の良さやパッションを感じられるか、最終的には「一緒に働きたい」と思えるかどうかを見極めた結果、たまたま2人とも新卒の女性だったということです。反対に、面接の中で「指示待ちで仕事をしてきた人」「残業が多く効率を考えてなさそうな人」「決まったルールがないと気持ちよく働けない人」については、当社のカルチャーに合わないので採用は遠慮してきました。

マネジメントに関しては、「自走できる組織」ということでマイクロマネジメントはしていません。年に2回、自己評価をする機会を設け「この半年で何ができたのか」「何ができなかったのか」を振り返ってもらいます。そして、できなかった事に関しては、自分のスキル・努力不足なのか、会社の仕組みや環境が悪かったのかを分析し、会社の仕組みや環境で改善できるものは、改善していきます。また、スタッフに成長の機会を提供するという意味で、副業を推進する「副業有給」というものを年に10日間付与しています。副業はどんな副業でも構いません。副業を通じて学び、成長することで、結果的に本業でもよりよい成果が出せるようになるのではないかと思っています。

もちろん、スタッフには会社で長く働いて欲しいとは思います。副業をすることで他にやりたいことが見つかってしまったり、転職をしたりしてしまうのは「こちらの魅力が足りなかった」ということです。スタッフがどこで働くかは自由競争ですから。スタッフには会社を踏み台にしてもらって、どんどん成長してやりたいことを実現してもらえれば良いと思います。

もっと言うと、世のフォトグラファーたちはライバルではなくパートナーだと思っています。人はみんな仲間です。お互いにパートナーとして助け合っていけば、より大きなことが実現できるのではないでしょうか。

日本で活躍したい外国人の皆さんにメッセージと今後の目標を教えて下さい。

「やりたいことをやれ、やれない理由はない」と伝えたいです。できない理由を考えるといくらでも理由は出てきますが、まずは出来ることを考えて、すぐにでもやってみることが大事です。そして、仲間をつくってください。

例えば「起業をしたい」であれば、いまは1円からでも会社はつくれます。何かができる人と何かができる人を組み合わせれば1+1=2ではなく1+1=11にもなりうるのです。足りないスキルは後から補えば良いし、自分に足りないスキルを補えるパートナーを探せば良いのです。

私はカメラの仕事をしているので、「やりたいことはカメラ」だと思われる事が多いのですが、実はフォトグラファーになりたかったわけではありません。「やりたくない事をやらなくて良い人生」を追求していたらフォトグラファーで独立することになり、起業をして現在に至ります。

今は組織のリーダーとして、株式会社LIFE.14のスタッフや関わる人たちの「幸せ」を追求していきたいです。安い給料で100人の雇用をつくるより、高い給料で豊かな10人の雇用をつくりたい、社会のルールの中で仕事をするよりも、ルールをつくる側になりたいと思っています。

私が好きな言葉は「正しいより優しい」です。正しいこと、正義よりも、間違っていても「人に優しいかどうか」「人が幸せになれるかどうか」の選択をしていくように心がけています。人はみんな仲間です。相手を倒すよりもお互いに助け合って一緒に成長していける道を選んでいきたいと思っています。

アントニー トランさんのインタビュー写真2

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