FOZI MAHDI(フージー マーディー) イラン出身 │ 34歳 │ 男性 │ 在日8年目
イタリアとイランで育ち、身につけた言語力と異文化への柔軟性をもつマーディーさんが、日本でどのようにしてキャリアを形成したのかをお聞きしました。
【経歴】
・2006年 (イラン)大学でコンピューターエンジニアを専攻し卒業
・2006年 (イラン)雑誌社 入社
・2013年 (日本)日本語学校
・2015年 (日本)英会話教室運営企業 入社
・2021年 (日本)旅行関連会社 入社
日本語に興味を持ったきっかけは、叔母が日本に住んでいたことです。およそ20年前、叔母は夫の仕事の関係で5年間、宮城県仙台市に住んでいました。子供の頃、叔母に会う度に日本の話を聞き、お土産に日本のおもちゃや漫画、お菓子などをもらいました。今でも鮮明に覚えているのは、豆のスナックです。緑色の丸い形のお菓子で今までに味わったことのないような美味しいお菓子でした。幼いころから日本は身近に感じる国でした。
日本語の勉強をはじめたのは、イランの大学でコンピューターエンジニア学部を卒業しコンピューターエンジニアとして働きはじめたころです。大学入学頃までに、ペルシャ語、イタリア語、英語の3か国語を話すようになっていましたが、何か新しい言語を学びたいと思い、小さい頃から接していた日本の言葉「漢字」に興味が沸きました。今までに触れたことのない絵画のような文字が新鮮に感じられました。週に1度、テヘランの日本語学校に通いはじめましたが、漢字の他にも、ひらがな、カタカナと覚えることがたくさんあり驚きました。
私はイランで生まれましたが、生後2か月でイタリアに移住し中学まで過ごしたため、母国語はイタリア語です。しかし、母はいつかイランに戻りたいという希望があり、私は幼い頃から、イランで高校教師だった母にペルシャ語を教えてもらっていました。小学校らは、毎年、夏休みにイタリアにあるイラン学校にも通い修了資格を取得しました。
高校からイランに戻りました。イランでは第3言語としてアラビア語の授業などがあり、はじめは苦労しました。大学の授業はペルシャ語でしたが、私はコンピューター系の学部に進学したため履修科目のほとんどが英語での講義でした。イタリアでは英語の授業が小学1年生からあり、小さいころから英語のゲームで遊び、英語圏の友人も多かったため、いつの間にか英語を話せるようになっていました。
イランは経済状況が良くないこともあり、もっと夢のある国で仕事がしたいという思いを持っていました。英語圏であるオーストラリアやカナダも候補地として考えましたが、日本語を習いはじめてからは、幼いころから縁のあった日本への興味が強く沸き、早く日本語が話せるようになりたい、実際に自分の目で日本を見てみたいと思うようになり渡航を決意しました。
行先は、叔母が住んでいた宮城県仙台市を選びました。古いものと新しいものがミックスされた、緑の山が美しい町でした。イランやイタリアの山は、土や岩でできており茶色か灰色をしています。青々とした木々に覆われた山に感動しました。
はじめは仙台の日本語学校に通いました。来日前に日本語を学び、読み書きはもちろん、漢字も400個ほど覚えていましたが、全く通じず最初は大変でした。
それがシェアハウスに住んだことで一気に上達しました。シェアハウスを選んだのは、食器など生活用品が全て揃っていたことと料金的に安かったことです。しかし暮らしてみて何よりメリットだと感じたのは、日々の生活の中に日本語があることでした。シェアハウスには日本人も住んでおり共有部分のキッチンやリビングでは常に日本語に触れることができ、3ヶ月ほどで日常会話ができるようになりました。
シェアハウスや地元のイベントのおかげで交友関係も広がりました。私が来日した秋には、東北地方の伝統「芋煮会」というイベントがあり、誘ってもらい河原でバーベキューなどを楽しみました。その後もウェルカム・グッバイパーティー、誕生日会、クリスマス、ハロウィンなど様々なイベントで交流を深めました。
日本語を学ぶかたわら生活費を稼ぐためにアルバイトもはじめました。イランでは、パソコンのマーケティングを学びコンピューターエンジニアとして働いていたこともありIT系の仕事ができればと思い探しました。しかし当時、仙台のIT系企業では日本語能力試験N2以上の求人しかありませんでした。いくらITに精通していても日本語ができないと難しいという現実に直面し、全く違う業界ではありましたが、英会話教室で英語講師のアルバイトをすることにしました。それが功を奏しました。とても楽しかったです。最初は週一回のアルバイトでしたが、そのうち土曜日も少しずつ仕事が増え、やりがいを感じました。
日本に住んで1年ほどが経ち日本語学校も残り半年になったとき、アルバイト先の英会話教室から「卒業後はフルタイムで働きませんか」と声をかけてもらいました。このまま仙台に住みたいと思い始めたタイミングでのオファーでした。日本語学校の卒業前にN2に合格しましたが、IT関連企業ではなく、英会話教室で正社員として働くことに決めました。
就職後、英会話教室が徐々に大きくなり、校舎、スタッフも増えていきました。そこで私に白羽の矢が立ち、エデュケーション事業部マネージャーの職を引き継ぐことになりました。業務内容は、外国人スタッフのスケジュール管理、シフト表作り、新しい先生の採用活動、レッスンの内容、イベントのプランニングなど多岐にわたっていました。
外国人は、学生や短期で日本に来る人が多く、すぐに帰国をしたり大学進学のために他県へ引っ越してしまったりと様々な事情から責任ある仕事を任せづらいといった現状があります。しかし、私は仙台に腰を据え、フルタイムで働いていたことで、日本人上司に信頼され任せてもらえたのだと思います。また、日本式の職場マナーや話し方に気を配っていたことも評価に繋がったのだと思います。ネットで関連記事を検索し、長く日本に住んでいる外国人が配信しているYouTube動画を見て、敬語、挨拶、などのビジネスマナーを身に付けました。
イランやイタリアは敬語もなく人間関係がフラットなのでビジネス上であっても親しくなれば友達同士のような会話やメールのやり取りをします。しかし日本では、親しい間柄であってもビジネス上では、メールを送るときなど「お疲れ様です」「承知いたしました」など、対面で話す場合は使わない表現を使います。全く違う文化にはじめは驚きましたが、幼い頃から2つの国に住み異文化に慣れていることもあり文化やルールの理解が進むと柔軟に対応することできました。
しかし、今でも戸惑うのは、働き方、仕事のとらえ方の違いです。これは日本に来た多くの外国人が感じていることだと思いますが、日本人は人生の中でしめる仕事の比重が非常に大きいように思います。イランやイタリアでは人生の優先順位が、「人生(プライベート)→趣味→仕事」ですが、日本人は、「仕事→人生(プライベート)→趣味」という人が多いです。これまで一緒に働いてきた日本の人々も、職場で手がたりない時に仕事をカバーすることをはじめ、長い時間、残業している姿を見てきました。日本人の仕事に対する真面目さ、責任感の強さには驚かされます。
5年間のマネージャーの仕事を通して自分の新たな能力も発見しました。私はシャイな性格ですが、マネージャーに昇進してからは人前に出なければならない場面が増え、イベント開催時には100〜200人を前にして日本語で司会をしました。はじめはセリフを一生懸命覚え何度も練習していましたが、回を重ねるごとに慣れ、緊張せずに人前で話せるようになりました。これは自分自身、大きく成長できた部分だと思います。
仕事で一番大変だったのはコミュニケーションです。英語の先生の9割が日本語を話せない外国人でしたのでコミュニケーションは私を介さないと成り立ちません。しかし責任あるポジションを経験することで、スタッフが互いに刺激を受けながら成長できるチーム作りに取り組み、組織における成長の意義、チームワークとは何かを学ぶことができました。
当時、交際中だった妻と結婚することになり、岩手県へ移り就職をするか、あるいはリモートワークで働くことに決めました。
そこで仕事探しをはじめましたが、最初に見た外国人向けの総合求人サイトを見てみましたが同じような求人が並んでおり残念ながら希望する仕事の掲載はありませんでした。次に大手のindeedやリクナビでも探しましたが、岩手県や宮城県などの地方の求人は少なく、仮に「外国人OK、英語を使う仕事」などの記載があっても読み進んでいくうちに、「たまに英語が必要になる場面もある」というようにトーンダウンし、基本的に日本人向けの求人サイトばかりなのだと落胆しました。必ずしも英語を使った仕事をしたいというわけではなかったのですが、私が思い描くような職はなかなか見つけられませんでした。また、様々な求人情報を見ると、日本語の量も多い上に、同じような求人が並んでおり、求める求人を探すのは骨の折れる作業でした。
妻も熱心に探してくれ、その中にNINJAの求人がありました。NINJAには外国人向けの求人情報がたくさん掲載されており、頻繁にチェックするようになりました。NINJAは外国人向けの求人情報に特化しており、知りたい情報がダイレクトに手に入れることができました。私が一番知りたかった、リモートワークが可能かどうかもNINJAはアイコンを使い一目で分かるように表示され、雇用形態(正社員・契約社員・派遣社員・パート)、雇用条件(労働時間・休暇)、職務内容なども整理され必要な情報を負担なく探すことができました。
NINJAで求人に応募をした時、はじめは、現職とは違う仕事にエントリーしていました。しかし、NINJAの運営会社である、グローバルパワーの担当者から連絡があり、私の希望している仕事内容、興味のある分野や職業などを伝え、紹介されたのが旅行業界で今の会社です。これまで大手のエージェントサービス(人材紹介会社)も利用したことはありましたが、ビジネスライクな印象でした。NINJAは、担当者とLINEでやり取りし、自分の考えや希望を率直に伝えることができ、自分の想像以上の仕事を見つけることができました。
面接前には、旅行業界について、現在の状況や競合企業、特にコロナ禍での影響などについてネットで調べました。面接の前に筆記テストがあり、その質問内容を通して面接で聞かれることが予想でき、不足している情報や知識をさらに詳しく調べた上で面接にのぞみました。当日は準備していた質問が多く、落ち着いて答えることができました。
仕事探しは、すぐには上手くいかず戸惑うことも多いかもしれませんが、いろいろ試しているうちにコツがつかめ自分の求めているものも明確になってきます。純粋に自分の求職している時期と企業が募集をしている期間が合わない、などのタイミングの問題もあります。これは、自分の能力の問題ではありません。すぐにあきらめるのではなく、長期的な視点をもって、根気よく探すことも大事だと思います。
現在の会社は、日本のマーケットでは業界ナンバーワンです。今後2年以内にグローバル化を進め世界の観光ビジネスでもトップを目指します。私も微力ながら会社の成長に貢献できればと思っています。
今年(2021)、日本語能力試験N1に合格しました。合格したものの、自分では書くことはまだまだだと実感することが多く、現在も小学生向けの漢字ドリルなどを購入し勉強を続けています。ワークライフバランスの良い今の恵まれた環境で、心のゆとりを保ちながら、これからもさらに様々なことにチャレンジし知識と豊かな経験を積み重ねていくことができればと思います。
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