金井 松子
中国出身 │ 39歳 │
女性 │
在日17年目
体力がなく人と接することが苦手だった金井さんが、日本留学で体力も精神力も鍛えられ、いまでは「天職」と言えるキャリアアドバイザーとして活躍されています。「天職」をみつけた金井さんが、日本でどのように仕事に取り組んできたのか、をお聞きしました。
【経歴】
1980年 中国吉林省生まれ
2001年(中国)延辺師範学院 卒業
2001年(中国)小学校教師
2005年(日本)中央情報専門学校 日本語本科 卒業
2009年(日本)流通経済大学 法学部ビジネス法学科 卒業
2009年(日本)システム開発企業 システムエンジニア
2012年(日本)総合人材サービス企業 営業
2019年(日本)転職エージェント キャリアアドバイザー
日本語は、中学生のときから勉強をはじめました。私が通っていた吉林省の中学校では、外国語の選択肢が日本語のみで日本語を勉強するしかありませんでした。私の姉が、日本語が上手く成績が良かったため、私が中学に入学したとき、先生たちが「妹も日本語ができるはずだ」と期待されていた様で、日本からの視察団に地元を案内する役を指名されたり、日本語のスピーチを頼まれたりしました。結果的には、姉ほどは日本語は上手くなりませんでした。
中学校の頃は、とても体が弱い子でした。病院で点滴をうけながら、なんとか学校の授業についていくような状況でしたので、「この体で高校に行っても大学受験の勉強に耐えられないだろう」と両親の勧めで、専門学校に進学しました。
進学した専門学校は、「看護師」か「会計士」か「教師」になるための学校で、私は教師になるコースに行きました。恥ずかしがり屋で人と接するのが苦手でしたので、その苦手を克服したくて、教師になるコースを選択しました。全寮制で、女性50名と男性3名の同級生、平日の外出は許されませんでした。17歳の多感な時期でしたので、外出禁止には耐えられず、こっそり外出していました。たまに見つかって怒られていましたが(笑)
苦手を克服するために、教師になる道を選び入学したものの、人前で授業の練習をする際には頭が真っ白になり、言葉が出てきませんでした。どれだけ練習をして、どれだけ準備をしていても上手くできず、教師になる道を選んだことを何度も後悔をし、何度も泣いていました。辛い日々でしたが、ここで辞めると実家に戻り農業をするしかありませんでしたので、「辞める」という選択肢はありませんでした。
専門学校の4年生になり、実習がはじまりました。小学校に配属され、実際に子供たちと接すると少しずつ自信がついてきました。子供たちより私の方が圧倒的に知っていることが多いので、その安心感と自信なのか、気が付けば人前で話をすることができるようになっていました。
卒業後は、小学校の教師として2年4か月勤務しました。小学校の教師とはいえ、当時の月給は1万円~1万5千円と「稼げる」とは言い難い状況でした。お金も貯まらず明るい未来が見えませんでしたので、家族にお金を借りて日本に留学することにしました。
中学校の時に日本語を勉強をしていた時からブランクがありましたので、日本語はすっかり忘れてしまい、自分の名前すら言えるかどうか、というレベルでしたが、留学エージェントの面接を通過し、日本留学の切符を手にすることができました。この時の目標は「日本に留学し、日本で稼いで中国に家を建てる」でした。ひとまず家さえあれば、あまり稼ぎがよくない小学校教師でもやっていけると思ったからです。
中学生で日本語を勉強したにも関わらず、日本語をすっかり忘れてしまった状態で来日・留学をしましたので、日本語学校では、再び「あいうえお」から勉強をスタートしました。日本語学校が終わったら、学費を稼ぐためにアルバイトをする生活でした。
アルバイトは、アポイントなしの「飛び込み」で獲得しました。たまたま、新規オープンのお寿司屋さんで「アルバイト募集」の貼り紙をみつけ、店舗に飛び込み、「アルバイトがしたいです」と伝えました。まだ日本語がほとんど話せませんでしたので、「アルバイトがしたいです。やる気はあります」紙に書いて、身振り手振りで猛アピールしました。対応してくれた店長が「では、厨房でバイトしてみる?」と言ってくれ、アルバイトのチャンスをつかむ事ができました。
日本でのアルバイトは「日本人はこんなにお寿司が好きだったの!?」と驚いたほど、お客さんが絶えない忙しいお店でした。中国で小学校の教師をしていた時は、仕事中でも半分ぐらいは自分の好きなことができるような時間があり、割とゆっくりしていました。それが、日本ではトイレに行く間もないぐらい忙しく、そのギャップにカルチャーショックを受けました。
その忙しさに耐えられず、店長に泣きながら「もう辞めたい」と何度か伝えましたが、店長は「日本の職場は、どこに行っても一緒だよ」とお菓子をくれ、なだめてくれました。また、お店の女性マネージャーも親切で、当時、生の魚が食べられなかった私のために魚を焼いて賄いを出してくれたりしました。「辛いこと」「できないこと」をどうやったら乗り越えられるかを一緒に考えてくれる職場でした。初めての日本のアルバイトで、とても良い職場と人間関係に恵まれました。
日本でそのまま大学に進学し、イタリアンレストランやラーメン屋さんなど様々なアルバイトを経験しましたが、このお寿司屋さんのアルバイトが一番印象的でした。このアルバイトのおかげで、体力と精神力が鍛えられたと思っています。
大学で就職活動がスタートする頃、友人が勤務先のITシステム会社を紹介してくれましたので、その会社に面接に行ったところ、採用になり就職が決まりました。他に、中国進出をしたい小売業など2-3社にも応募をしてみましたが、落ちました。当時は、外国人留学生の採用ニーズも少なく、あまり選択肢がありませんでしたので、内定をもらった会社に行くことにしました。
日本の会社にはじめて入社をしましたが、外国人は私1人という日本人ばかりの環境でした。はじめは、議事録作成などの仕事をまかされましたが、何をするにも時間がかかりました。一番怖かったのは電話対応でした。相手が何を言っているか聞き取れない事も多く、何度も聞き返しました。「電話対応が暗いよ」「笑顔で対応して」など、よく注意をされました。机の上に鏡をおいて、自分の表情や発音をチェックしました。電話対応に慣れるまで半年かかりました。私は外国人で、自分からしっかりアピールをしなければ、周囲に伝わりません。チャンスは勝手にやってきませんし、何もせずに周囲が自分を理解してくれるという都合の良いことは起こりません。だから、会社では誰よりも一番に電話をとってアピールするように心がけました。
しばらくしてから、ITエンジニアとしての研修をうけて、開発の現場にでるようになりました。基礎的なことしか身についていませんでしたので、現場ではついていくのが大変でした。エンジニアとして現場にいるので、技術的な事を質問されても「わからない」「できない」とは言えません。自分で解決をしたくても、「わからない」「できない」の繰り返しで、苦しくて毎日泣いていました。日曜日の夜が一番つらかったですね。「明日から、またあの生活がはじまる・・」と恐怖で、会社に何度か「退職をしたい」とも伝えました。一方で「日本では、転職は今後のキャリアにとってマイナス、最低3年は勤務をした方が良い」と聞いていましたので、なんとか続けていました。しばらくすると、要領がわかるようになり仕事がこなせるようになり、楽しくなりました。そして、プロジェクトが終わるタイミングと同時に、3年半で退職をしました。
転職先も友人の紹介でした。製造業を中心とした外国人ワーカーを派遣する人材会社です。これまで、日本人の中に外国人の私1人、という職場環境から一転して、外国人の同僚ばかりの職場でした。中国人の同僚ばかりの職場は、上司との会話はフランクで、仕事のすすめ方は大雑把、定時になったら仕事を終えてすぐに帰る、という環境でした。日本企業で育った私は「仕事が終わらないと帰れない」と思っていたので「明日までにやらないといけないこの仕事はどうするの!?」と、かなりのカルチャーショックを受けました。とはいえ、私も根っこは中国人なので、職場環境にもすぐに慣れました。
でも、この職場環境は逆にチャンスだと思いました。日本企業の仕事スタイルや商習慣をよく知らない外国人の同僚が多かったので、日本スタイルで仕事をしてきた私はチャンスです。「クライアントの要望には数字でこたえよう」と決意し、担当クライアントの売上を伸長させることができました。
それから、出産をして仕事復帰をしましたが、子育てをしながら続けることが難しかったので転職をしました。現在は、外国人材に特化した転職エージェントでキャリアアドバイザーをやっています。
中学校の時は、人と話すことが苦手で、体力がなく病院で点滴をしながら学校に通っていた私が、今では人と話すことが仕事であるキャリアアドバイザーになり、こんなにたくましく日本で生きています。他界した母がみたら、きっと驚いたと思います。
私は、将来のことをあまり考えずに社会にとびこみました。もし、これから日本で就職・転職をする予定がある方は、「自分がやりたいこと」をしっかり整理して欲しいなと思います。「どうなりたいか」が明確な方が、時間をかけずに最短距離で目標に向かうことができるからです。
とはいえ、昔の私のようにプランが見つからない人も多いと思います。やりたいことがまだ見つからない場合は、①目の前にあることをしっかりやってみること②素敵だなと思う人の真似をしてみること③色々な人の話やアドバイスをきてみること、です。
就職活動や転職活動での面接対策は、会社のホームページをしっかり見ておくことは勿論ですが、「素直に・正直に」相手に伝えることをおすすめします。テクニックやコツはありますが、だいたいは面接官には見抜かれてしまうので、誠実に自分の気持ちを相手に伝えた方が良いと思います。
また、前の会社の悪口は言わない事です。会社を辞める理由はそれぞれあると思いますが、夫婦関係と一緒で「どちらか一方が悪い」というものはないと思います。会社も従業員本人も、お互いに課題や問題があるから退職をするという結果になるのに、一方的に悪口を言うのは誠実ではないと思います。
今もそうですが、今後も私は人の「困った」を一緒に解決していく人になりたいです。振り返ってみると私は「困った」が見逃せない人間なのだと思います。クライアントや求職者の「困った」を、仕事に直結することに限らず一緒に解決していきたいですね。だから、今の仕事であるキャリアアドバイザーは、私の天職だと思います。ずっとこの仕事を続けていたいですね。
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