自分の人生は、自分の力で切り拓く

DUONG THI KIM ANH(ズオン テイ キム アイン)

DUONG THI KIM ANH(ズオン テイ キム アイン) ベトナム出身 │ 40歳 │ 女性 │ 在日15年目

前職 大手建設会社 ジャパンデスク
内定企業 医療施設 医療ツーリズム担当
好きな日本語 出会い・感謝

医療機関で医療ツーリズム担当として活躍されている、DUONG THI KIM ANH(ズオン テイ キム アイン)さん。進学、就職、転職活動など日々の努力を重ねることで、チャンスをつかみ、キャリア形成してきた秘訣についてお聞きしました。

私が生まれたのは、ベトナムの首都ハノイです。小学校だった頃のベトナムは、まだ経済的に豊かではなく、ハノイでも郊外にある私の村では、まだ電気もありませんでした。したがって、午前中は小学校に行き、午後からは祖母の畑のお手伝い、夜はろうそくを灯して宿題などの勉強をしていました。小学4年生の頃には、電気がくるようになったという記憶がありますが、それでも村ではテレビが1〜2台あるぐらいでしたので、村のみんながテレビがある家に集まり、一緒にテレビを見ていました。

私が勉強を頑張ろうと思ったきっかけは、祖母の一言です。私はとても小柄だったので、祖母の農作業を手伝うことが、とても重労働で大変でした。祖母は「勉強を頑張れば、将来は先生になったりオフィスで働けるので、大変な農作業をしなくても良くなるんだよ」と教えてくれ、勉強に励むようになりました。祖母は、今でいうとメンターのような役割をしていました。

高校では、特選クラスに入ることができました。各村の中学生の優秀な人たちが集まるクラスです。私は、中学校で成績がトップでしたし、学校代表で試験を受けるなどもしていたので、それで選ばれたのだと思います。勉強が好きな方でしたので、私の性格にとても合っていたのだと思います。

大学進学は、迷わずハノイ大学の日本語学部を選択しました。子供の頃、暇な時はいつもベトナム語に翻訳された 『ドラえもん』や『セーラームーン』などの漫画を読んでいました。漫画を通じて触れる日本文化がとても面白いと思っていましたし、身近に感じていました。また、将来の職業を決める際にも、ベトナムは社会主義国ですので国営企業の場合は、ある程度の人脈がないとキャリア形成が難しいのではないかと考え、外資系でキャリアを積むことが最適だと思い、外国語を勉強すべきだと判断しました。その中でも、ベトナムでは、英語やフランス語、ロシア語ができる人は多いので、当時は希少だった日本語を専攻することに決めました。

実践的な日本語をみにつけるために段階的な学習計画をたてて実行

日本語を初めて勉強した時は、「こんなに難しい言語だったのか・・・」と少し後悔したぐらいです。一番、難しかったのは漢字で、やはり書くこと、覚えることが大変でした。でも、3カ月ぐらい勉強を続けると、少しずつわかるようになり楽しくなりました。

日本語の勉強は、大学を卒業した時に即戦力として日本語が使えるようになるべく、計画的に実行していきました。大学では、日本語ネイティブの先生がいましたが、一週間に1度しか教えてもらえる機会がありませんでしたので、1年生の時は、ハノイの有名な観光地に出かけていき、日本人だと思われる観光客に「私はハノイ大学 日本語学部の学生です。日本語の練習をしたいので、一緒に会話をしてもらえませんか?」と声をかけて、話し相手になってもらいました。対応してくれた日本人の方々はみんな親切で、日本語の教え方が上手で、沢山の方が私に協力をしてくれました。

大学2年生になってからは、わかる単語も増え、文法もマスターしていましたので、今度は、日本人観光客を見つけて「観光ですか?今からどこに行く予定ですか?」と声をかけ、 観光であれば「ハノイ大学で日本語を学んでいる大学生です。お金はいりません。日本語の練習をしたいのでガイドさせてください」と言って、ツアーガイドのようなことをやっていました。

外国語というのは、たくさん喋らないと上手くなりませんし、自然な日本語にならない、というのを自覚していたので、このような行動を取りました。もともと、人見知りではありませんし、人と話をすることが好きで、人前で話すことも恥ずかしいとは思いませんので、このような性格が幸いしました。

大学3年生になってからは、日本語能力もかなり向上しましたので、日本人が多く住んでいるサービスアパートメントの受付のアルバイトを始めました。大学の授業が終わった後、18時〜22時まで受付のアルバイトをしながら宿題をしていました。住人の日本人がいたら、日本語で会話をし、たまに日本語の宿題なども見てもらったりしました。

また、大学3年生では、JALの作文コンクールにチャレンジしました。作文のテーマは「国の繁栄を創るのは何か」で、私は、その中心が【人】だという解釈をした内容で、応募しました。無事に選考を通過し、2次選考で面接を受けて、合格することができました。お陰様で、ベトナムの代表3名の1人として選定され、2006年8月のJALスカラシップ・プログラムに参加、初来日を果たしました。この時、はじめて、五感で日本に触れることができ、とても貴重な体験ができました。このプログラム参加を機に、日本とのご縁をさらに深く感じるようになり「いつか社会人として日本で住んでみたい!」という夢が浮かんできました。

そして、大学4年生になってからは、就職に向けて、週3日ほど、日系企業で通訳や翻訳などのアルバイトをするなどして、実践的な日本語を身につけていきました。

ハノイ大学の日本語学部には、企業から「学生を紹介してほしい」という依頼がきますので、就職活動は特にやっていません。私は4社から声をかけてもらいましたが、会社をこれから立ち上げる予定のスタートアップ企業に決めました。マルチタスクで、色々なことに挑戦できると思いましたし、実家からも近かったので迷いはありませんでした。

キムアインさんインタビュー写真1

スタートアップ企業で会社をたちあげ、マルチタスクで様々な業務を経験

就職した会社の社長は、40代の日本人社長でした。私は、社長のアシスタントとして通訳・翻訳・人事総務を担当しました。社長と運転手、経理担当と私という4名の会社でしたので、工場のたちあげから交渉まで何でもやりました。日本人の社長は、ビジネスや専門用語に慣れていない私に、わかりやすい言葉でわかるまで何度も説明をしてくれました。また、新聞をもってきて「新聞を読めば、もっとわかる単語が増えるよ」とアドバイスをしてくれたり、ビジネスメールの参考になる本を貸してくれたりと、とても親切にしてくれました。

スタートアップでゼロからスタートした会社でしたので、早朝や夜中に工場にいって商品の搬入対応をしたり、マルチタスクであれもこれもやらないとけない、という状況で、とても忙しい仕事でしたが、総務・人事・通訳翻訳・現場の製造のことなど、会社運営のすべてを把握でき、学べることが良かった点です。すでに完成している企業であれば、 「総務だけ」「人事だけ」のように決まった範囲の仕事しかできませんが、何もないところからスタートをする会社だからこそ、何でもやれるという魅力がありました。 また、社長といつも一緒に行動をしていましたので、日本のビジネスマナーや接待での立ち振る舞い、ビジネスの交渉方法などを身近で見る事ができました。

あるとき、日本の水産物製造会社の社長らがベトナムのマーケット調査をするということで、4日間だけ通訳のサポートをする機会がありました。その際に、ベトナムの暑い気候で疲れていた方々に、冷たいお水やおしぼりを買って渡したりするなどの気遣いをしたところ、良い評価をしてくださった様で、「日本にきて、うちの会社で働きませんか?」とお誘いを頂きました。もともと「日本で働くこと」を目標にしていましたので、二つ返事で快諾しました。

その会社は、外国人を雇うという事が初めての会社でしたので、ビザや招聘の手続き方法が分かる方がいませんでした。したがって、私がベトナムから日本の入国管理局のホームページで「どの在留資格に該当するのか」「申請方法はどうやるのか?」などを調べて、総務の方に準備書類や入管での手続き方法などを依頼しました。

キムアインさんインタビュー写真3

目標だった日本での生活、そして新たな目標にむかって前進

無事にビザの許可がおり来日、四国の香川県に拠点をうつしました。バタバタと来日までの準備をして単身で日本に到着、すごくワクワクしていた日本での生活だったのですが、1人暮らしをする部屋に入って扉をしめた瞬間、ホームシックで悲しくなり涙が出ました。

会社では、朝礼や会議などのオフィシャルなシーンでの日本語はわかるのですが、カジュアルなシーンでは方言があるので、会話がわかりづらく、難しいと感じました。それでも、ランチタイムに積極的に声をかけ、一緒にご飯を食べるなどして少しずつ方言での会話にも慣れてきました。そして、嬉しいことにベトナム出張が月に1回はありましたのでホームシックは解消されました。

この会社では、生産管理、貿易事務、営業サポートを担当しました。具体的にはべトナムやタイの委託工場とのやりとり、原料から最終製品の在庫管理、船積み計画作成や管理、現地への発注、最終製品のコスト計算などです。特に、船積み計画については難しく、不良在庫にもなってはいけないし、欠品にもなってもいけないので、国内外の様々な拠点からの情報をもとに調整・判断をすることが大変でした。

これまでの仕事は、ベトナムという自分のホームで日本人社長をサポートする仕事でしたので、日本人社長が「ベトナムのことを良く知っている自分を頼ってくれる」「相手がベトナム社会に合わせてくれる」という状況の中での仕事でした。反対に、日本での仕事は、私が「相手を頼らないといけない」「自分が日本の社会に合わせる」という状況が新鮮でした。また、日本語は曖昧なところがある言語ですので、仕事の指示で、やって良いのか悪いのかが分からない事も多くありました。その時は、自分から「イエスなのかノーなのか」を確認するようにしていました。

出産を機に、出張や残業対応が難しくなったので退職をしました。育児期間中は、フリーランスとして通訳・翻訳の仕事をしました。様々な分野に挑戦しましたが、その中でも特に、やりがいを感じていたのが医療分野です。同じ通訳・翻訳の仕事でも、病気で辛いおもいをされていたり、不安になったりしている患者さんに対して、私が通訳として間に入ることで、安心してもらえたり、退院して笑顔になり感謝をされると「自分が役に立った」と感じます。

その後、フルタイムで技能実習生の受け入れ管理団体で翻訳や書類作成などの仕事に復帰しました。新型コロナウイルス感染症の拡大で、3年間もベトナムの実家に帰省できない状況が続いていました。その時、大手建設会社の友人から「ベトナムでの開発プロジェクトでジャパンデスクを立ち上げるため、手伝ってほしい」と誘われ、ベトナムに帰国できるチャンスだ、ということで、プロジェクトに参加することにしました。期間限定で、延長の可能性もありましたが、私も子どもたちも日本での生活に戻りたかったため、契約を満了し、日本に戻ることにしました。

実は、ベトナムで仕事をしている間、「今後は、医療通訳の仕事をしたい」と思っていました。ベトナムにいながらも、日本の求人サイトで「医療通訳」の求人を探し続けていました。また、医療通訳の仕事のチャンスがあった時のために、知識と経験の裏付けになるように、医療通訳の資格を勉強、2級を取得しました。そして、ついに「ベトナム語と英語を使う医療通訳」の求人に出会い、応募、無事に内定をもらうことができました。

夢や目標を達成するためのエネルギーや行動力は「これをやりたい」という強い気持ちがあるからです。いつチャンスが訪れも良いように、そしてチャンスが目の前にあったときに掴み損ねないように、勉強をしておくなど、万全の準備をしておく、というのが私の考えです。ベトナムには「虎からおちてくるのは雨水しかない」という諺があります。勝手に降ってくるもの、楽をして得られるものは何もないけれども、自分が努力をするから、夢が掴めるのだ、というような意味です。自分で行動して自分で頑張らないと何も起こりません。「自分の人生は自分で切り拓く」という気持ちが大事だと思います。これから日本で就職活動や転職活動をする方は、ぜひ、夢を諦めずに行動・挑戦をして欲しいと思います。

 

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